曇天(渡辺)


◆アンケートエッセイ週間

無作為にチョイスしたいくつかの単語の中で、Twitterアンケートを実施!
今週は、それにより選ばれた『メロンパン』のワードをテーマに、劇団員によるエッセイを日替わりで掲載します。

【vol.6】

by 渡辺 岳

 曇天には頭を使わされる。傘を持っていこうか、持っていくまいか。とりあえず折り畳み傘を、というのはよくあるパターンかもしれない。

 あの日も例によって折り畳み傘を簡単なカバンに詰めていた。傘を持っていく=雨が降っている、ということは学校に行かねばならず雨が降れば「授業のある日」となってしまう。逆を言うとすなわち快晴であれば「授業が無い日」となるわけだが、その時は今にも降ってきそうな曇天。「授業が無い日」というのはどういうことかというと、決して休日の事を指しているわけではない。むしろしんどい、絶望の近未来が待っていることを意味する。少なくとも当時の私にとっては。


 2月。朝8時にジャージ姿で家を出る。当然ながら寒く、ギリギリ雨が降っていないので授業は無いと睨み、数時間後には過酷な目に遭遇しているだろうと簡単な予知などしてみる。気分は落ち込むが、どうしても行かなければならない場所がある。歩く。歩く。寒い。歩く。自転車で向かうことは許されておらずバスも丁度いい停留所が無い。歩く。寒い。徐々に見慣れぬ風景を歩く。絶望のなか現実に目を背けながら歩く。とても理想的にこの1日を終える妄想を繰り広げながら歩く。つまり「授業が無い日」かつしんどい思いをしなくていい1日を思い描きながら歩く。


 メールが届いた。高校入学祝いで手にしてまだ1年も経っていないオレンジ寄りの黄色い携帯電話。仲の良い同級生から

《がくちゃん、もう武庫川向かってる?》

向かってるで。自分ち近所やったから一緒に行ったら良かったけど武庫川までの最短ルート的には一人で行くのがベストやと判断したんや、だからサムズアップの絵文字連打と一緒に《向かってるで》と返事をした。


 と同時にこのメールに安心した。この曇天というのは判断が難しく、雨が降ってくるだろうと予測して「授業がある日」のていで学校へ向かうのか、それとも今は雨が降っていないから「授業が無い日」つまり武庫川に集合するのかは自由だぁぁぁぁぁっ。当時の流行りでいうところこんな感じか。小学校の遠足しかり、晴れならリュックに弁当、雨ならランドセルに給食の用意、曇天時に判断を誤ると授業の用意一式忘れorランドセル背負って六甲山ハイキングの可能性だってあるのだ。いつだって曇天時の判断は厳しくトップダウン式の連絡網は無い。


 行き先の判断を誤ったとて一人ではないと思うと少し気が晴れた。しかしそれも束の間、携帯電話の画面に水滴が一粒。少し降ってきたことで「授業の用意一式忘れ君」に一歩近づいてしまった。いいや落ち着け、だが一人ではない。武庫川に向かうと言ってもJR尼崎付近や西宮の山の方の在住の子だって同級生にはいる。きっと「授業が無い日」と判断した連中は他にもいて、家を出たとき降ってなかったんだから武庫川へ向かう判断は間違っていなかったと、そこらへんは先生も汲み取ってくれるはず。まあ、そもそも教師陣が武庫川にいなければとんでもない話だが。

《ほんまにマラソン大会やるんかなあ》

 ほんまにマラソン大会やるんかなあ、は多分な、いま武庫川に向かってる連中全員考えてると思うで、で絶対「雨やしさあ、中止になったらええよなあ」っていうのは陸上部とかサッカー部とかのガチ勢以外の奴らは大概思ってるはずやで。ていうか中止にしようぜ。メール多いな。《中止にしてほしいなあ》と今度はサムズアップ絵文字に赤色の上向き矢印をセットで語尾に置いて返信した。


 そこからは天へ祈りのメッセージを送るばかり。今向かってる最中は何とかこの小雨で抑えてもらってちょうど武庫川に着いて1年生が集合して点呼取ってる時を見計らって大雨を降らせてくださいカミサマァ!気づけば武庫川の土手が見えてきた。天への念発送が凄まじかったらしく、いつの間にか集合場所まではもう階段を上って降りてのところに迫っていた。


 しかし階段を上る途中、ふと念じるのをやめて現実的な考え方を復活させる。例えばこの後本当に雨が降ったとてマラソン大会が中止になるのか。「若いからいける!」みたいな幼稚な精神論で決行されてはかなわない。仮に中止となったとて「昼から授業!」となれば良いこと無しだ。言い忘れていたがつい先ほど武庫川に向かいながら妄想していた理想的な1日の過ごし方はこうだ。雨が降り「マラソンは中止!」と先生の号令、そこから真っすぐ帰り家に隣接するセブンイレブンへ行き当時なぜか激ハマりしていた菓子パンを調達、帰宅するやいなやポカポカの部屋で笑っていいともを見ながら飯を食らいごきげんようのオープニングトークだけ見た後PS2の電源をON、そこからは帝国軍とのバトル。雨の中10km走るのも、雨の中帰宅して改めて登校するのも、この妄想からあまりにもかけ離れている。登校する羽目になったとて昼飯に菓子パンを食らって妄想を一部具現化するのが高校1年生ギリギリ精いっぱいの抗いだ。


 土手を登りきると、同じ青いジャージを着た同級生がわんさか集まっていた。曇天時の判断はとりあえず予定決行のつもりで行くと恥ずかしい思いはしないのだ。集合場所に到着し、辺りを見回すが例のメールの同級生はまだ来ていない。しかし考えていることは皆同じようで、帰らせろムードムンムンだ。そんなに降っているわけではないのに折り畳み傘を敢えてさしている連中すらいる。なるほど、「降ってますよ」アピールだ。自分も乗っかろうと傘を出す。すると雨音のボリュームに気付く。そこそこ降っていたのだった。


 こうなると先ほどの妄想が現実味を帯びてくる。教師陣の判断やいかに、といった事情は無視できないが否が応にも今日一日のスケジュールは徐々にリアルな予定として埋められ、食の方はというとどうしても菓子パンの口になってくる。学生の食す菓子パンというと「サンミー」だとか「チョコチップスティックパン」が定番なのかもしれないが、当時激ハマりしていたのがコンビニ各社のPB商品。もともとパンよりご飯派な自分がなぜ高校時代に菓子パンに目が眩んだのかは今でも謎だ。(体の不調や変化を何でもかんでもストレスが原因と判断する風潮は好きではないが)なまじ進学校へ進んでしまったストレスが甘味を求めるよう作用したのだろうと今は推測するしかない。当時の昼食No.1組み合わせはセブンイレブン限定のチョコチップ入りクリームをサンドした全長30㎝ほどの「ちぎりパン」に一風堂のインスタント麺を付け合わせてフィニッシュ。これが学校早上がり日の定番だった。(ちなみにこの「ちぎりパン」は今でも販売されているロングヒット商品)


 もはやマラソン大会中止は明らか、とまで大降りになったわけではなかったが、教師陣の判断は思いのほか早く下され、それは拡声器で全帰りたい勢へと伝えられた。


 「本日ですが、見ての通り雨が降っています。天気予報で確認すると、この後雨が強まるということです。皆さんの体調面を考慮して、本日のマラソンは中止にします。また授業も行いません。」


 ざわつく周囲、歓声を上げるDQN、残念がるガチ勢。自分はと言うと曇天ながら気持ち晴々、嗚呼神よ、優勝気分をありがとう。さらに驚いたのがなんと雨天を予想して学校へ行ってしまった生徒、つまり「マラソン用意一式忘れ君」にあたる者が若干名いると言うではないか。おお神よダブルで勝利した気分だぜ俺は!お祝いに菓子パンパーティーをしよう!チョコも砂糖もクリームもトッピングし放題だ!


 ルンルン気分で例のメールの同級生と帰路につく。そいつも道中同じことを考えていたようで、

「いや俺めっちゃ念送ってたもん、天に」

 どうやらこいつと友達やってる理由が分かったようだ。

「神様まじでいいタイミングで雨降らせてほしい、って」

 我々は恥ずかしいくらい同じことを考えていたようだ。

「ていうかいま雨降ってへんけどなあ」

 確かにそうだ。降ってますよアピールから傘をさしたままだったが、雨音のボリュームが弱まっている。ついさっき歩いてきた道を遡るうちに雨は弱まり、しまいには傘は邪魔なくらいの小雨に戻っていた。平日1日のフリーダムを手にした我ら二人は、互いの健闘(天への念)を称え合い別れた。


 さて、問題は飯だ。一刻も早くPS2の電源をONしたいゆえ、帰宅途中のコンビニに寄って帰るのだ。家の隣のセブンイレブンはこのルートだと途中にはない。つまり遠回りをして帰ることになるため時間のロスと判断。ちぎりパンは断念しよう。この先の交差点にはローソンがある。そこで何か、何かいい感じのお祝いにうってつけの菓子パンを入手しよう。


 例のちぎりパンに近いすこしウェットな、クリームみのあるやつがきっと良い。そんなことを考えながら菓子パンパーティーへの扉は開かれた。ローソンはマラソン大会中止を祝うかのようにポッカポカの空気で出迎えてくれて、不思議なことに普段飲まない缶コーヒーのコーナーへ誘われた。お祝いだから、と少し非日常な気分から缶コーヒーをほいほい手にして、メインディッシュの吟味へと思考は移る。


 なんせコーヒーをまず掴んでしまった。すると自然とコーヒーと融合しやすい菓子パンはどれかという観点で選ぶことになってしまう。あのちぎりパンならうまいこと行ったろうに…刻んだチョコの入ったクリームがサンドしてあるとはいえパンの存在感たるや主張の強いものがある。その味の余白にコーヒーが容赦なく攻め込めばきっとベストマッチなどと考えているとやはりセブンイレブンに行けばよかったとわがままな方向へ思考はジャンプする。

 何かいい感じのものがないか。ありふれたラインナップの中で吟味は続く。トリッキーにあんパンなんてどうだろうか、いかん、粒あんは苦手だ。敢えてド定番のメロンパンなどはどうだろうか、いやそれは鼻で笑ってしまうほど貧困な発想だ。今日のこのセレブレイションには似つかわしくない。

 しかしながら当時のローソンには2種類メロンパンが用意されていた。ひとつはいわゆるド定番の皆がイメージする通りの丸い、メロンパンナちゃんのそれだ。もう一つはまるでホットドッグを彷彿させるビジュアルで、ソーセージの配置されるはずの溝にはたっぷりのホイップクリーム、薄黄色のパン生地は見た目がすでにカリカリのクッキー感、さらに粗めの砂糖が表面を覆いつくしている。


 「これや!」手に取るまで2秒かからなかった。


 まさかメロンパンをこのセレブレイションに招待することになるとは。しかしながら確実にそのクリームサンドメロンパンは今日のお祝い気分を打ち上げるにふさわしく、かつ缶コーヒーにフィットする理想的な存在だったのだ。ローソンをあとにするときには雨は完全に止み、教師陣が見た天気予報の精度の悪さにほとほと感謝した。

 帰宅するやいなや、昼食のはずの本日のメインに食らいついた。これはお祝いだ。昼飯はとなりのセブンでまた一風堂を買ってきたらいい。メロンパンがわがままな思考にさせる。なんでもいい、とにかく今日は気分が良い。学校の束縛から解かれ、授業もないしんどくもなりたくないという怠惰な願いが叶ったようで勝手に気分が高まっていた。間違いなく、それは人生で一番うまいメロンパンだった。


渡辺「(…という出来事がちょうど1年前にあったなあ。そう、雨が降るからってマラソン大会が中止になって、だからって授業もないフリーダムな平日…今年はさすがにやらざるを得ないか…ちょっと降ってるけど今年は決行するかな…)」


先生「本日ですが、見ての通り雨が降っています。天気予報で確認すると、この後雨が強まるということです。皆さんの体調面を考慮して、本日のマラソンは中止にします。また授業も行いません。」


渡辺「(連勝や!今日はメロンパンや)」



 高校在学中、2年連続でマラソン大会が中止となった。2回とも降りそうで降らない、タイミングを見計らったかのように雨をもたらしたかと思うと、すぐに消え去る素敵な曇天。

曇天には頭を使わされる。そんな日はメロンパンが丁度いい糖分補給になるかもしれない。


渡辺 岳
2008年甲南大学演劇部「甲南一座」入部。「話を書きたい」と「舞台に立ちたい」が並走する学生時代を送るが、いずれも自前のビジョン通りに事が運ばない舞台作りの実情に憤慨し演出へ転向。舞台よりも映画を多く見て育ったせいか、その演出はカット割のような分断されたシーン運びと音合わせを重んじる段取り芝居に反映される。
悲観的な観察に依存する脚本構成と、楽観的なコード進行が共存することで積み重ねられる物語は「笑えるのに最後はゾッとする」サスペンスコメディというスタイルに帰結。文学部卒なのに読書が苦手で活字離れを自認、自分で書いた脚本ですら読み返すのが億劫に感じるのが弱点。

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